ツタンカーメンの真実にまつわる謎!ファラオの財宝に迫る!

有名人
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ツタンカーメンを思い出すとき
あの黄金のマスクを思い浮かべますよね?

でも

それ以上は良く分からない。
知らない。
だから教えて欲しい。

というあなたのために

ツタンカーメンについてまとめてみました。

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ツタンカーメンとは?

まずツタンカーメンてだれ?
という疑問からひも解いてみましょう。

ウィキペディア(Wikipedia) からの引用です。

ツタンカーメンは、
トゥトアンクアムンという名前であると伝えられている。

ツタンカーメン
紀元前14世紀(紀元前1342年頃 – 紀元前1324年頃)の
古代エジプト18代ファラオと言われている。

ツタンカーメンは、古代エジプトのファラオの中で最も著名なファラオだ。
財宝が詰まった王墓が1922年に発見されると国際的な反響を呼び、
現在に至るまで研究や分析の対象となっている


ウィキペディア(Wikipedia)

ツタンカーメンとは?簡単にいうと

古代エジプト18代の王様です。

当時の国内に平和をもたらし
国を治めたと言われています。

馬から落ちて骨折して
その療養中にマラリアになりこの世をさったとされています。
年齢は、若干18~19歳。

20歳前に国政という重責を担わされ
人生の楽しさも味わう前に
この世を去るなんて
ツタンカーメンって
悲哀に満ちた儚さを感じさせる王様だったんですね。

ツタンカーメンとはどんな人?

ツタンカーメンは
王様として即位した時まだ幼い少年でした。

1978年に米国研究チームが、ツタンカーメンの血液型は
検査の結果A型であると発表しています。

2005年にはエジプト研究チームがミイラの調査を始めています。
その結果、
ツタンカーメンはケーラー病という
難病にかかっていたと発表しています。

同研究チームは、更に
ツタンカーメンは骨折した上にマラリアを発症。
それが原因で亡くなったと、結論付けています。

ツタンカーメンの墓には
130本もの杖が埋葬されており、使った痕跡があることから
王としての職務はきちんとこなしていたと研究結果を結んでいます。
つまり、ケーラー病に骨折、そしてマラリアに倒れるまで
病弱な体に鞭打って
ヌビアの反乱を収めたり
ヒッタイトとの戦争に勝利したり頑張っていたんですね。

まだ年端も行かない
わずが7歳で即位した少年が
自身の体も病弱なのに
懸命に王としての務めを果たしている姿は
涙を誘うものがあります。

即位した初期は
側近の家来たちも
【本当にこんなに幼い王で国を統治できるのか】
と不安と懐疑心が渦を巻いていたと思います。

そんな家来たちに
有無を言わせなかった彼の働きぶりに舌を巻くと同時に
彼の短い一生がどんなものだったのか、興味が湧いてきます。

ツタンカーメン 黄金のマスクについて

エジプトのファラオの多くの墓は勝手に掘り返されました。
貴重な品々も盗まれています。

その中で
ツタンカーメンの墓は奇跡的に
掘り起こされていません。

ツタンカーメンの遺体の頭にかぶせられていたのが
有名な黄金のマスクです。

黄金のマスクの重さは約11kgで
23金の高価な金で作られています。

その表面には銀と金(18金~21金)をミックスした塗装が施され
その頭巾や胸飾りには
ハゲワシ(神の使者の象徴)やコブラ(守り神の象徴)などの
装飾がなされているのです。

なぜ黄金で遺体が覆いかぶされていたのでしょう?

研究者たちは
エジプト神話に起因する考え方により
代々のファラオたちは、
あの世への旅立ちの準備として体を黄金で覆うことで
あの世の世界で永遠に生き続けることを願ったからだと結論しています。

ツタンカーメンの呪いって?

1922年11月26日、ツタンカーメンの墓が発見されたとき、
墓を掘り起こした者たちに
邪悪な呪いがかけられたと噂されています。
薄幸の王がやっと手に入れた安らかな眠りを
発掘者が邪魔したからと言うのがその理由です。

その呪いが
【王家の呪い】として信仰にまで発展したのには理由がありました。

墓を発見したり発掘したことに関わった人々が
次々に災難に見舞われたりしたからです。
マスコミも興味をもって
大々的に発表していきました。

実際に墓の発掘に関わった人たちは
ツタンカーメンに呪われたと言われ
その内9人の不幸は都市伝説となっているほどです。

ツタンカーメンのミイラについて

ツタンカーメンのミイラは保存状態が良くありませんでした。
更に
発見後にミイラにまかれていた包帯を取ってしまったことも
保存状態をさらに悪化させてしまいました。

2005年1月、
ミイラのCT撮影により
推定年齢が19歳と断定されました。
身長は165cmで、体格は非常に細身であることが判明しました。

ツタンカーメンの墓

ツタンカーメン王の墓は、
1992年11月4日に、考古学者ハワード、カーターにより発見され
発掘されました。
発掘されたとき、ツタンカーメンの墓はほとんど手付かずで
荒らされた様子はありませんでした。
3000年以上もの間、奇跡的にほとんど盗掘をされていなかったのです。

墓の発掘は世界の注目を浴びましたが
発掘者の出資者であるカーナヴォン卿の急死を始めとして
発掘に関わった人たちが次々と災難に見舞われたという噂が
世界を駆け回り
【ファラオの呪い】として伝説になりました。

ツタンカーメンのエンドウ豆って?

ツタンカーメンの墓から出土したと言われる
濃紫色のエンドウ豆の子孫です。

墓の中にあったたくさんの副葬品の一部
として知られていますが
豆の一部を
考古学者ハワード、カーター が持ち帰って、発芽、栽培に成功し
【 ツタンカーメンのエンドウ豆 】として世界に広めてきました。

このえんどう豆がアメリカから
日本に伝わったのは、1956年のことです。

ツタンカーメンとファラオの違いは?

【ファラオ】とは、古代エジプトの君主の称号で、
日本語では「国王」「君主」と訳されています。

ピラミッドを建設させたことで知られる
エジプト第4王朝のクフ王や、
【絶世の美女】の代名詞であるクレオパトラを始めとする
エジプト第1王朝から
プトレマイオス朝までの
古代エジプト統治者の称号としても使用されます。

【ツタンカーメン】とは 第18王朝の【ファラオ】のひとりです。

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